2009年06月30日
ラストレター
Hello my Honey
Good bay I'm off
サヨナラもう行くね
あなたの事好きだった日々が
終わろうとしています
悲しみを知って人は強くなる
悲しみを知って優しくなれるかな
Hello my Mother
元気でいますか?
いつも思っているんです
あの頃のようにママって今は
甘えられないから
失くして気付く大切なもの
気付いた時にはもう
取り戻せないもの
そうやって手放して
犠牲を払って
守りたいものがあったのか
今でもいつでも
その答えはなくて
最後の手紙に込める
I'm so sorry...
Hello my Lovers
愛してくれてありがとう
あなたのことその全てを
忘れないよ...
Good bay I'm off
サヨナラもう行くね
あなたの事好きだった日々が
終わろうとしています
悲しみを知って人は強くなる
悲しみを知って優しくなれるかな
Hello my Mother
元気でいますか?
いつも思っているんです
あの頃のようにママって今は
甘えられないから
失くして気付く大切なもの
気付いた時にはもう
取り戻せないもの
そうやって手放して
犠牲を払って
守りたいものがあったのか
今でもいつでも
その答えはなくて
最後の手紙に込める
I'm so sorry...
Hello my Lovers
愛してくれてありがとう
あなたのことその全てを
忘れないよ...
Posted by 比花 知春 at 09:00│Comments(1)
この記事へのコメント
テレビでもネットでもマイケル君のことで大騒ぎをしていますね。
世界のスーパースターの早すぎる死ですから当たり前のことでしょう。
私も突然のニュースに夕方までCNNにかじりついていましたが、見れば見るほどに悲しく、今は静かに彼の音楽を聴いています。文字を打つ手がなぜか震えています。
私はマイケルジャクソンファンではありません。私はCHIHARUファンです。
世界に、特にこの日本におけるマイケルジャクソンファンの多くは、色の白いマイケル、要するにクインシージョーンズをプロデューサーとした後のファンで、これはある意味私がCHIHARUファンであることと似ている、もしくは同じです。
私にとって、マイケルジャクソン君は、子供の頃からの友達であり初恋の男の子でした。彼との初めての出会いは、ソウルミュージックをこよなく愛した姉が所持していた数多くのドーナツ盤レコードの中の一枚であった"Looking Through The Windows"でありました。
11歳のマイケル君をリードボーカルとするアフリカ系アメリカ人兄弟の子供たち五人組のグループ、ジャクソン5のシングルレコードです。
この当時、日本ではジャクソン5は全く知名度がなく、一般のレコード屋では、郷ひろみや西城秀樹、野口五郎のドーナツ盤は購入できても、ジャクソン5の曲を入手する事は困難でした。
テレビで見ることが出来る芸能人も上記の三名や、兄弟は兄弟でもピンカラ兄弟などでした。ネットなどもちろん無かった時代なので画面に映っている、動くマイケル君を見ることも出来ず、私にとってはレコードのジャケットで見れる彼の姿(写真)がとっても貴重なものでした。
沖縄は那覇に住んでいた11~12歳程度の子供だった私は、食費として得た小遣い等を貯め、廃盤レコード店までバスに乗って通い、とっても珍しいジャクソン5のレコードをコツコツと買って集めていました。
今やCD時代、レコード盤をかけるプレーヤーは持っていませんが、それらのレコード盤たちは、ダンボール箱にギッシリ詰められ大切にしまってあります。30年近くの宝物です。聞きすぎたので傷だらけですが、キズが付いていなければ金持ちになれたかもしれません。
実は私は少女時代、いろいろな事情から、寂しい子供でした。寂しい大人には、はけ口がありますが、寂しい子供には、それも無く実際は本当に孤独です。それでも子供は、孤独を孤独だと理解しません。情報の無い昔の子供は特に無知でした。
そんな無知で寂しい子供だった私といつも一緒にいてくれたのが、マイケルジャクソン君の歌声と音楽でした。彼の歌う声を聞いていれば、どんな時でも、何時間でも幸せに過ごすことができました。どの曲も本当に好きで、その時かかってる曲が全て、コレが一番好きと思えました。
が、中でも、次の曲に進みたくないくらい好きで何度も繰り返し聞いた曲が、"Never Can Say Goodbye"日本語タイトルさよならなんて言えないです。
そして彼の死を知り、とてつもなく、さよならなんて言えないと思いました。大きな影響力があった彼の死もまた、今日の私に大きく影響しています。孤独な子供だったと告白している私の何倍もはるかに孤独に生きたと思われるマイケルジャクソン君、私は彼の見方です。
彼は、亡くなっても、これから先、メディア等でいろんな事を言われ続けるのでしょうが、
私はずっと彼の見方です。芸能界や世界中のあらゆる産業にとって、お金のなる木であった彼の50年の人生について、本当は書きたいことがありすぎるほどありますが、だんだん正気を取り戻しつつある私は、長すぎるこのコメントがちょっと変だと気づき始めたので、このくらいにしておきます。幸男は当分、涙です。
ありがとうマイケル君。
世界のスーパースターの早すぎる死ですから当たり前のことでしょう。
私も突然のニュースに夕方までCNNにかじりついていましたが、見れば見るほどに悲しく、今は静かに彼の音楽を聴いています。文字を打つ手がなぜか震えています。
私はマイケルジャクソンファンではありません。私はCHIHARUファンです。
世界に、特にこの日本におけるマイケルジャクソンファンの多くは、色の白いマイケル、要するにクインシージョーンズをプロデューサーとした後のファンで、これはある意味私がCHIHARUファンであることと似ている、もしくは同じです。
私にとって、マイケルジャクソン君は、子供の頃からの友達であり初恋の男の子でした。彼との初めての出会いは、ソウルミュージックをこよなく愛した姉が所持していた数多くのドーナツ盤レコードの中の一枚であった"Looking Through The Windows"でありました。
11歳のマイケル君をリードボーカルとするアフリカ系アメリカ人兄弟の子供たち五人組のグループ、ジャクソン5のシングルレコードです。
この当時、日本ではジャクソン5は全く知名度がなく、一般のレコード屋では、郷ひろみや西城秀樹、野口五郎のドーナツ盤は購入できても、ジャクソン5の曲を入手する事は困難でした。
テレビで見ることが出来る芸能人も上記の三名や、兄弟は兄弟でもピンカラ兄弟などでした。ネットなどもちろん無かった時代なので画面に映っている、動くマイケル君を見ることも出来ず、私にとってはレコードのジャケットで見れる彼の姿(写真)がとっても貴重なものでした。
沖縄は那覇に住んでいた11~12歳程度の子供だった私は、食費として得た小遣い等を貯め、廃盤レコード店までバスに乗って通い、とっても珍しいジャクソン5のレコードをコツコツと買って集めていました。
今やCD時代、レコード盤をかけるプレーヤーは持っていませんが、それらのレコード盤たちは、ダンボール箱にギッシリ詰められ大切にしまってあります。30年近くの宝物です。聞きすぎたので傷だらけですが、キズが付いていなければ金持ちになれたかもしれません。
実は私は少女時代、いろいろな事情から、寂しい子供でした。寂しい大人には、はけ口がありますが、寂しい子供には、それも無く実際は本当に孤独です。それでも子供は、孤独を孤独だと理解しません。情報の無い昔の子供は特に無知でした。
そんな無知で寂しい子供だった私といつも一緒にいてくれたのが、マイケルジャクソン君の歌声と音楽でした。彼の歌う声を聞いていれば、どんな時でも、何時間でも幸せに過ごすことができました。どの曲も本当に好きで、その時かかってる曲が全て、コレが一番好きと思えました。
が、中でも、次の曲に進みたくないくらい好きで何度も繰り返し聞いた曲が、"Never Can Say Goodbye"日本語タイトルさよならなんて言えないです。
そして彼の死を知り、とてつもなく、さよならなんて言えないと思いました。大きな影響力があった彼の死もまた、今日の私に大きく影響しています。孤独な子供だったと告白している私の何倍もはるかに孤独に生きたと思われるマイケルジャクソン君、私は彼の見方です。
彼は、亡くなっても、これから先、メディア等でいろんな事を言われ続けるのでしょうが、
私はずっと彼の見方です。芸能界や世界中のあらゆる産業にとって、お金のなる木であった彼の50年の人生について、本当は書きたいことがありすぎるほどありますが、だんだん正気を取り戻しつつある私は、長すぎるこのコメントがちょっと変だと気づき始めたので、このくらいにしておきます。幸男は当分、涙です。
ありがとうマイケル君。
Posted by 福富幸男 at 2009年06月30日 15:11